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神戸地方裁判所 平成4年(ワ)608号 判決 1997年5月23日

原告

山下道子

右訴訟代理人弁護士

藤原精吾

被告

ネスレ日本株式会社

(変更前の商号ネッスル日本株式会社)

右代表者代表取締役

フリッツ ダブリュー・エム・ヴァンダイク

右訴訟代理人弁護士

中筋一朗

益田哲生

畑守人

主文

一  被告は、原告に対し、金三八五万八七一八円及びうち金二九六万二八六五円に対する平成四年四月二九日から、うち金八九万五八五三円に対する平成八年五月一五日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  本件訴えのうち、「原告の被告に対する、原告の頸肩腕障害についての昭和六三年五月二六日から平成四年一〇月三一日までの治療期間中の病状報告書の提出義務が存在しないことを確認する。」との部分、及び「原告の被告に対する、昭和五五年一〇月から平成三年九月までの公租公課等の立替金一一五万四一六四円の支払義務が存在しないことを確認する。」との部分を、いずれも却下する。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告に対し、金一一九六万四九九五円及びうち金八〇五万二二三九円に対する平成四年四月二九日から、うち金三九一万二七五六円に対する平成八年五月一五日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告に対する、原告の頸肩腕障害についての昭和六三年五月二六日から平成四年一〇月三一日までの治療期間中の病状報告書の提出義務が存在しないことを確認する。

三  原告の被告に対する、昭和五五年一〇月から平成三年九月までの公租公課等(所得税、住民税、健康保険料、厚生年金保険料、雇用保険料、共済会費、労働組合費)の立替金一一五万四一六四円の支払義務が存在しないことを確認する。

第二  事案の概要

一  本件は、被告の従業員である原告が、被告の業務に起因する頸肩腕障害等により休業のやむなきに至ったと主張して、被告の労働協約上の労災休業差額金を請求する(請求一)とともに、これに伴い、病状報告書の提出義務及び公租公課等(その内容の詳細は請求三記載のとおりであり、以下同様である。)の立替金支払義務がいずれも存在しないことの確認を求める(請求二、三)事案である。

なお、請求一の付帯請求は、訴状及び「請求趣旨変更の申立」と題する書面によりそれぞれ請求された金額に対する、それぞれの書面が送達された日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金である。

二  争いのない事実

1  原告は、昭和三七年一二月一七日、被告に入社した。

2  原告は、昭和五二年九月二八日、頸肩腕障害、右手腱鞘炎等の診断を受け、同月三〇日から病気休業した(以下「前回休業」という。)。

3  神戸東労働基準監督署長は、昭和五三年三月、原告の右頸肩腕障害等を業務に起因する疾病と認め、原告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による保険給付の支給を決定した。

4  被告とネッスル日本労働組合(以下「組合」という。)との間には、従業員である組合員が、業務に関連して、または業務遂行中に負傷し、あるいは疾病にかかった場合には、被告が、当該従業員に対し、労働基準法及び労災保険法に基づく保険給付と賃金との差額(以下「労災休業差額金」という。)を支払う旨の労働協約があり(以下「本件労働協約」という。)、被告は原告に対し、前回休業時、本件労働協約に基づき労災休業差額金を支払っていた。

5  原告は、昭和六二年七月一日、被告大阪販売事務所業務課(以下「業務課」という。)に復職した。

6  原告は、昭和六三年五月二六日から頸肩腕障害により再び休業した(以下「本件休業」という。)。

7  神戸東労働基準監督署長は、本件休業時の原告の頸肩腕障害についても業務に起因する疾病と認め、原告に対し、労災保険法による保険給付の支給を決定した。

8  神戸東労働基準監督署長は、平成四年一〇月三一日、原告の症状が固定したとして、労災保険後遺障害等級一二級に該当する旨認定した。

三  争点

本件の主な争点は次のとおりである。

1  業務起因性

本件休業時の原告の頸肩腕障害は、業務に起因するものか。

また、右頸肩腕障害は、休業を要するほどのものか。

2  労災休業差額金の金額

本件休業が業務に起因する頸肩腕障害による場合に、原告は本件労働協約に基づく労災休業差額金を請求しうるか。また、請求しうる場合、被告が原告に対して支払うべき労災休業差額金の金額はいくらか。

3  病状報告書提出義務

本件訴えのうち、右義務の不存在確認を求める部分に確認の利益があるか。

また、原告は、被告に対し、本件休業時の頸肩腕障害等に関する病状報告書の提出義務を負うか。

4  立替金支払義務

本件訴えのうち、右義務の不存在確認を求める部分に確認の利益があるか。

また、原告は、被告に対し、本件休業時の休業期間中の公租公課等の立替金支払義務を負うか。

四  争点に関する当事者の主張

1  争点1(業務起因性)

(一) 原告

前回休業開始から約一〇年の空白期間を経て復職した原告に対し、被告は、その健康状態に何らの配慮もすることなく、過重な業務を命じたため、一旦軽快していた原告の頸肩腕障害は増悪を来し、原告は、本件休業を余儀なくされた。

そして、労働基準監督署長が原告の頸肩腕障害等を昭和五二年の発病から一貫して労災保険法による保険給付の対象としてきたことからも明らかなとおり、本件休業時の原告の頸肩腕障害は、昭和五二年九月二八日に発病した前回休業時の頸肩腕障害の継続であって、業務に起因する疾病である。

(二) 被告

(1) 原告の前回休業時の頸肩腕障害は、昭和六二年七月の復職時には完治しており、本件休業時の頸肩腕障害は、その継続ではない。

なお、原告からは、昭和五九年九月以降、数度にわたって、制限勤務による復職の申し入れがなされていたが、被告は、これに対し、治療に専念して完全に就労することができるようになってから復職してほしい旨の回答をしていた。

そして、昭和六二年四月、原告が、就労が可能である旨の財団法人住友病院(以下「住友病院」という。)の診断書を持参した上、仕事に対する熱意、意欲を強調したため、被告は原告を復職させることとした。

また、被告は、復職後の原告の作業内容に配慮し、原告を軽作業にのみ従事させた。

(2) 仮に、原告の本件休業時の頸肩腕障害が業務に起因するとしても、その障害の程度は休業を要するほどの状態ではなかったから、本件休業と原告の頸肩腕障害等の間に因果関係はない。

2  争点2(労災休業差額金の金額)

(一) 原告

原告が被告に対して請求する労災休業差額金は、本件休業の開始時である昭和六三年五月二六日から原告の症状が固定したとして労働基準監督署長が一二級の障害等級を認定した平成四年一〇月三一日までの間の分である。

なお、本件休業期間中に賃上げ、賞与支給基準の変更がなされており、他の従業員の支給実績の平均にしたがって計算すると、右期間中の労災休業差額金は、給与分が金四六八万六一八九円、賞与分が金七二七万八八〇六円、以上合計金一一九六万四九九五円となる。

(二) 被告

(1) 被告の労災休業差額金の支給条件として、当該従業員の疾病が業務に起因すること及びその疾病により休業を要することを、使用者である被告が認めることが必要である。

そして、被告は、右のいずれも認めていない。

なお、労働基準監督署長の労災保険法上の休業補償給付の支給決定は、被告が右判断をする際の一資料に過ぎず、被告の判断を拘束するものではない。

(2) 仮に、被告が、昭和六三年五月二六日から平成四年一〇月三一日までの期間に相当する労災休業差額金を支払わなければならないとしても、被告が支払うべき金額は、休業前三か月の給与の手取額、すなわち支給総額から社会保険料及び税金を控除した額をその期間の日数で除した金額を基準に算定した右期間中の賃金と労災保険法による保険給付との差額金三二四万二五七〇円である。

もっとも、被告においては、業務上疾病による休業の場合、従業員平均月数による賞与を支給することがあるが、これは、休業と業務との間の因果関係が明確に認められるときに限るとする労使慣行がある。

そして、原告の本件休業はこれに該当しないから、他の従業員の支給実績の平均による賞与を求める原告の請求は根拠を欠く。

3  争点3(病状報告書提出義務)

(一) 原告

(1) 原告による昭和六三年五月二六日から平成四年一〇月三一日までの間の病状報告書の未提出に関し、被告は、これを将来において懲戒の対象とする意向があることを否定しておらず、確認の利益は認められる。

(2) 被告は、原告に対し、本件休業が業務上疾病によるにもかかわらず、私病についてのみ提出が義務づけられている病状報告書の提出を再三にわたり強要し、病状報告書の不提出を就業規則違反として将来において懲戒の対象とする意向があることを否定せず、原告に精神的圧迫を加えていた。

(二) 被告

(1) 病状報告書制度は、被告が独自に設けている制度であり、その対象をいかなる範囲とするかは被告の判断にゆだねられるところ、被告では、業務上疾病による休業が明確である場合には病状報告書の提出は求めていないが、そうでない場合にはその提出を求めるとの取り扱いをしている。そして、原告の場合、労働基準監督署長が業務上疾病による休業と認定しているものの、被告としては、業務上疾病による休業であることに疑義があるため病状報告書の提出を求めているのであり、原告は被告に対し、病状報告書の提出義務を負う。

(2) ところで、原告は、昭和六三年五月二六日から平成四年一〇月三一日までの病状報告書の提出義務という過去の法律関係の不存在確認を求めている。これに対し、被告は、現時点において、原告の右期間の病状報告書の不提出を理由に原告を懲戒処分する意向がないとまではいえない。しかし、右病状報告書の不提出が現在の原告の法的地位や権利義務に直接結びつかない以上、過去の病状報告書の提出義務の不存在確認請求については確認の利益を欠く。

4  争点4(立替金支払義務)

(一) 原告

(1) 被告から支給される労災休業差額金につき、原告に公租公課等の支払義務はないところ、被告は、昭和五五年一〇月から平成三年九月までの公租公課等の立替金一一五万四一六四円(以下「本件立替金」という。)の支払いを請求してきている。

そして、労災休業差額金は、過去三か月の手取りの平均賃金から労災保険による休業補償金額を差し引いた金額であり、公租公課等は既に控除されている。したがって、この労災休業差額金からさらに公租公課等を差し引くのは二重控除となる。

(2) 消滅時効

仮に、本件立替金支払義務が認められるとしても、同義務のうち昭和六二年一〇月以前の分は商法所定の五年の時効期間の経過により消滅している。

(二) 被告

(1) 労災休業差額金は、給与支給総額から社会保険料・税金を差し引いた手取平均賃金を基礎とするものであるが、上積み補償である労災休業差額金をどの範囲で支給するかの問題と、労災保険や労災休業差額金の受給期間中に本人に支払義務のある地方税・社会保険料を本人が負担するかの問題とは、本来別個の問題である。そして、被告が負担するとの特段の定めがない以上、労災保険受給期間中も社会保険料本人負担分は原告が支払わなければならないし、前年所得に対する地方税も所得のあった原告が支払わなければならない。

また、本件立替金支払債務は、雇傭契約上に生じた債務であるが、商行為によって生じた債権とはいえず、雇用契約上の付随義務としての損害賠償請求権の消滅時効と同様、時効期間は一〇年であり、五年の期間の経過により消滅することはない。

(2) 原告が昭和五五年一〇月から同六二年六月末まで及び同六三年五月以降の公租公課等を支払わないため、被告は、休業中の賞与時に原告に支払う金一封及び健康保険給付金をその返済に充当しており、本件立替金支払債務は既に消滅している。したがって、被告は、本件立替金支払債務が現存するとは主張しておらず、原告の本件立替金支払義務の不存在確認は確認の利益がない。

(3) もっとも、平成八年一月末現在、同四年六月以降の健康保険料・厚生年金保険料、同年七月以降の共済会費が未払の状態で、未払総額は金一二三万二五二〇円であり、被告は、原告に対し、右未払金の請求はしている。

第三  争点に対する判断

一  争点1(業務起因性)について

1  甲第六号証の一ないし五、第七号証、第九号証、第一〇号証の一及び二、第一一号証、第三九号証、第五二ないし第五四号証、第六四号証、乙第二号証の一ないし三、第五号証の一及び四、第六号証、第二一号証、証人梶山方忠、同三浦一昭(一部)、同宮西紀久雄の各証言並びに原告本人尋問の結果によると、次の事実を認めることができ、証人三浦一昭の証言中、右認定に反する部分は採用しない。

(一) 原告は、前回休業開始後、医療法人神戸健康共和会西診療所(以下「西診療所」という。)での治療に専念していたが、昭和五九年一〇月ころ、西診療所において、週三日、一日四時間の勤務が可能であると診断されたことから被告に復職する希望を持ち始め、当時の被告の人事部長であった藤本卓也(以下「藤本人事部長」という。)に面会を申し入れた。原告は、藤本人事部長と二、三回面会したが、同六〇年七月から三浦一昭(以下「三浦課長代理」という。)が被告人事部業務厚生課の課長代理に就いたため、以後は藤本人事部長に代わり三浦課長代理が原告に対応することとなった。

そして、原告からの面会の申入れに応じ、三浦課長代理は、同年一一月一三日、原告と面会した。原告は、週三日、一日四時間の制限勤務での復職を申し入れたが、被告としては、制限勤務は認めない方針であったことから、原告の頸肩腕障害が完治し、完全就労が可能になった段階で復職するように申し伝えた。

ところで、西診療所の梶山方忠医師(以下「梶山医師」という。)は、同六一年四月二六日、初めて原告を診察し、原告の主治医となったが、同医師の診察によれば、原告には、同年四月から六月ころまでは、書字により指先が冷える、右腕がうずく、不眠等の自覚症状、触痛の他覚所見があった。しかし、原告の症状が徐々によくなっていたため、同医師は、制限勤務をすれば職場に復帰することは可能と判断し、週三日、一日四時間の制限勤務が可能であると診断した。これを受けて、原告は、右制限勤務が可能であるとの診断書を被告に持参し、制限勤務による復職を申し入れたが、被告は従前同様これを認めなかった。

西診療所の診断書を提出した原告に対し、三浦課長代理が西診療所以外の病院で受診するように勧めたため、原告は、同年七月一〇日、神戸市立中央市民病院で受診したところ、治療を続けながら就労可能であるが、右手指をよく使用する仕事はふさわしくないとの診断を受けた(甲六の一)。右診断に対し、三浦課長代理は、まだ完治していないので完全就労は無理であると判断し、復職は認められない旨原告に申し伝えた。

このころ、梶山医師は、同年八月五日付神戸東労働基準監督署長宛の意見書において、従前同様、週三日、一日四時間の制限勤務が可能であると診断しており、同年一〇月二日においても同じく、週三日、一日四時間の制限勤務が可能であると診断していた。この間、原告は、職場復帰のための訓練の一環として、週三回、西診療所に通院することとし、これを継続していた。

その後、梶山医師は、同年一二月三日、原告が、右通院訓練により職場復帰に自信が出て、また、症状も軽快したため、週五日、一日四時間の制限勤務が可能であると診断した。

他方、原告が、同月四日、住友病院で宮内寿彦医師(以下「宮内医師」という。)の診察を受けたところ、「自他覚的に症状が認められるが、治療に関してはすでに充分受けており、現在の症状は自身の健康と将来に対する不安感によるものが大きい。したがって、向後一、二か月の間に治療行為から離れるように水泳等の運動に力を入れる必要がある。一、二か月後に完全就労をすることが望ましい。」との診断を受けた。

三浦課長代理は、右住友病院の診断が一、二か月後に就労することが望ましいというものであったことから、その後の経過を確認するため、原告に住友病院で受診するよう指示したところ、原告は、同六二年四月二日、住友病院で宮内医師の診察を受け、症状改善したため同月六日より就労可能との診断を受け、同月一六日、その旨の診断書(甲六の二)を被告に持参した。また、このころには、原告の自覚症状は、触痛がなくなるまで軽快した。これに対し、三浦課長代理は、完全就労が可能なまでに治ったと判断し、フルタイムによる復職を認めることにした。

他方、梶山医師は、同年五月三〇日、週五日、一日四時間の制限勤務が可能であると診断するにとどまり、原告が完治し、完全就労が可能であるとは認めていなかった。

三浦課長代理は、同年六月九日、藤本部長も同席の上、復職に対する原告の意思を確認し、大阪販売事務所に欠員があったことから、原告を同所に復職させることにした。これに対し、原告は、フルタイムによる復職に不安を抱いて、同月二四日、梶山医師の診察を受け、週五日、一日四時間の制限勤務が可能であるとの同日付診断書を三浦課長代理に提出した。しかし、被告は、原告のフルタイムによる復職の方針を変更しなかった。

原告は、同年七月一日に業務課に復職することが決まったので、やむなく、右復職を受け入れることとし、同年六月二五日、三浦課長代理に伴われて業務課を訪れ、業務課課長宮西紀久雄(以下「宮西課長」という。)に面会した。その際、宮西課長は、原告に対し、大阪販売事務所や業務課の仕事を説明するとともに、分からないことは同僚に聞いて徐々に仕事に慣れてくれるよう、また、体に無理のないようにぼちぼちやったらいいと話した。

そして、原告は、同年七月一日、業務課に復職した。

(二) 復職後に原告が従事した作業及びその量並びに原告の体の状況は以下のとおりである。

(1) 昭和六二年七月

宮西課長は、同年八月一日から受註システムが新しくなると決まっていたことから、原告には新システムでの仕事を担当してもらおうと考え、それまでは原告が長期間休職しており、とりあえず職場に慣れてもらうことが先決であると判断し、書類の整理、ファックス送信、電話取り次ぎ等、他の同僚の軽作業を手伝うよう指示した。さらに原告が復職して一か月経過したことから、宮西課長は、原告をSON(被告の雑出荷指図書)の作成に従事させることとし、原告は、同年七月三一日、SONを一六枚作成し、その際の筆耕数は三一九二字であった。なお、同月には、原告は、コンピュータの入力作業を行っていない。

復職当初、原告から宮西課長に対し、体の不調を訴えることはなかった。ただ、梶山医師の診断によれば、復職直後、症状は悪くなっているが、これは仕事の負担が過重であったことが原因ではなく、しばらく仕事に就いていなかったため一時的に症状が増悪したものである。

(2) 同年八月

同月、業務課に新しい受註システムが導入されたが、宮西課長は、原告が復職して一か月経ち、職場・仕事に慣れてきた様子であったことから、新受註システムの一部を担当させることにした。原告は、同月には、返品通知書の内容のインプット作業を三八枚処理し(入力タッチ数五五八六)、返品通知書ナンバーと発行日の記入を三八枚処理し(筆耕数五七〇字)、返品通知書ナンバーと入力日の返品明細書への記入を三八枚処理(筆耕数五七〇字)した。その他、原告は、返品通知書、返品明細書の後処理、SONの作成(二三枚、筆耕数四一四〇字)、オーダー入力(二四枚入力、タッチ数一五六〇)、ミロリキッドオーダーの入力(四二枚入力、タッチ数一九三二)、ファックス送信の業務に従事した。以上は、入力タッチ数では同僚の9.6パーセント、筆耕数では16.4パーセントの仕事量にあたる。原告は、残業及び休日出勤をせず、原告が体の不調を訴えるようなこともなかった。

(3) 同年九月

原告は、不良品返品伝票の処理、返品通知書・返品明細書の後処理、SONの作成、オーダー入力の作業に従事し、入力タッチ数は四万六〇五八で同僚の64.4パーセント、筆耕数は二万二二一八字で同僚の57.8パーセントの仕事量であった。また、残業及び休日出勤はなかったし、原告が体の不調を訴えるようなこともなかった。

(4) 同年一〇月

原告は、不良品返品伝票の処理、返品通知書・返品明細書の後処理、オーダー入力の作業に従事し、入力タッチ数は六万五九〇一で同僚の61.1パーセント、筆耕数は一万八六一八字で同僚の36.8パーセントの仕事量であったが、原告が右手甲と腕が痛いと訴えたため、SONの作成作業は中止された。原告は、同月二二日、二三日の各一時間、合計二時間の時間外労働を行った。

梶山医師の診断によれば、このころから原告には字が書けないという自覚症状が生じ始め、診療所見も増悪していた。

(5) 同年一一月

原告は、不良品返品伝票の処理、返品通知書・返品明細書の後処理、オーダー入力の作業に従事し、入力タッチ数は六万八七四二で同僚の八二パーセント、筆耕数は一万七五一八字で同僚の34.4パーセントの仕事量であったが、原告がボールペンでの記入が腕に負担になると申し出たので、比較的筆圧を必要としないフェルトペンで記入するようになった。原告は、同月、合計一三時間二五分の時間外労働(休日出勤を含む。)を行った。

(6) 同年一二月

原告は、不良品返品伝票の処理、返品通知書・返品明細書の後処理に従事し、入力タッチ数は五万二九二〇で同僚の57.3パーセント、筆耕数は一万三二三一字で同僚の28.2パーセントの仕事量であった。原告は、同月、合計三時間四〇分の時間外労働を行った。原告は、多少腕の痛みやだるさがあると訴えた。

(7) 同六三年一月

宮西課長は、原告が前年一二月に腕に多少痛みやだるさがあると訴えていたことから、原告の入力、筆耕作業量を軽減することにし、返品通知書の内容の入力、返品通知書番号の記入作業を中止させ、郵便物の処理、書類のファイル、ファックス送信といった軽作業に従事させた。同月の原告の入力タッチ数は三一で同僚の0.1パーセント、筆耕数は四五四九字で同僚の15.3パーセントの仕事量であった。

右のとおり、入力、筆耕作業量が軽減されたことから、原告の自覚症状も軽減していったが、同月末ころから、再び、自覚症状、診療所見とも増悪していった。

(8) 同年二月から四月

原告は、同年二月一五日、腕が痛いので病院に行きたいと宮西課長に申し出て、西診療所で受診したところ、同月一七日付で一か月間の休業を要すると診断された(甲一一)。そこで、宮西課長は、それ以降フェルトペンによる筆耕作業も中止させ、原告の担当業務を郵便物の処理、書類のファイル及びファックス送信だけに限らせた。その結果、原告は、同月、二八六枚、二〇〇二字の入力作業を行なったが、右西診療所での受診以降は、入力及び筆耕作業をまったく行わなくなった。しかし、症状の改善はみられず、同年四月九日、西診療所で約一か月間の休業・通院加療を要するとの診断を受けた(甲一一)。

(9) 同年五月

原告は、同月一四日、西診療所で約一か月間の休業・通院加療を要するとの診断を受け(甲六の四)、同月二五日、仕事を早退し、翌二六日から出勤しなくなった。

(三) 原告は、本件休業に入ってから、同年六月一〇日、西診療所において、休業により症状はやや軽快したが、依然触痛が持続しているため、約一か月間の休業・通院加療を要するとの診断を受け(甲一一)、さらに、同年七月一四日、住友病院において、木村正己医師により二か月間の休業を要するとの診断を受けた(甲六の五)。

(四) なお、頸肩腕障害は、主に上肢に負担のかかる作業に従事する場合に生じる疾病であって、体がだるいなどの比較的部位が限定されない自覚症状から始まり、肩が凝るとか、首がだるいなど、部位の限定されただるさの症状が出てきて、だんだん首、肩、腕が痛いという症状が出てくる。さらに進むと自発痛や腕のしびれの症状が出て、もっと進むと、人と話をするのが厭だとか、人前に出るのが厭だとか、買い物に行くのも厭だとか、新聞を読んだり、テレビを見るのも厭だというような症状も出てくる。

そして、休業・療養により症状が改善しても、一人前に仕事ができる状態ではなく、疲れやすく、一旦疲れると症状がとれにくい傾向があるから、職場に復帰するについても、このような事情に配慮し、制限された作業量にとどめることが必要であり、その内容も、局所の頻繁または連続使用を要する仕事、力を込めたり、無理な姿勢をしたり、神経の緊張を要する仕事は避ける必要がある。

2 右認定のとおり、頸肩腕障害による休業から職場復帰するには、作業量及び作業内容を制限した制限勤務によることが必要なこと、原告は、当初から治療を受けていた西診療所において、昭和五九年一〇月から復職直前の同六二年六月二四日まで、一貫して、週三日、一日四時間または週五日、一日四時間という時間制限のある制限勤務が必要であると診断されていたこと、にもかかわらず、同僚より作業量が少ないとはいえ、フルタイムの勤務で筆耕作業や入力作業に従事させられたこと、同六三年二月に筆耕及び入力作業が中止されてからは症状の改善がみられること、本件休職後に症状の改善がみられることに、争いのない事実に記載のとおり、神戸東労働基準監督署長が本件休業時の原告の頸肩腕障害を業務に起因する疾病と認め、原告に対し労災保険給付の支給を決定したことを総合考慮すれば、原告の前回休業時の頸肩腕障害は、復職時には完治しておらず、復職後に被告の業務に従事したことによって右頸肩腕障害の増悪を来し、よって、本件休業に至ったと認められる。

また、右認定のとおり、原告は、昭和六三年二月一七日、同年四月九日、同年五月一四日、同年六月一〇日には西診療所において、同年七月一四日には住友病院において、いずれも頸肩腕障害により一ないし二か月間休業を要すると診断されており、本件休業時の頸肩腕障害は休業を要する程度のものであったことが認められる。

もっとも、原告が、昭和六二年四月二日、住友病院の宮内医師の診察を受け、症状改善したため同月六日より就労可能との診断を受け、原告もフルタイムによる復職に同意して同年七月一日から復職したことは前記認定のとおりであるが、宮内医師は原告を二回診察したにすぎないのに対し、梶山医師は、同六一年四月から継続して原告の診察、治療を担当しており、同医師の診断の方が信用できること、また、既に復職の決まっていた同六二年六月二四日に、原告は、週五日、一日四時間の制限勤務が可能であるとの梶山医師の診断書を三浦課長代理に提出しており、フルタイムによる復職にあたり健康上の不安を有していたと認められることに照らすと、右復職時に原告の頸肩腕障害が完治していたとはいえない。

証人三浦一昭の証言も右認定を左右するものではない。

3 以上判示したところによると、本件休業時の原告の頸肩腕障害は、被告の業務に起因するものであり、休業を要するものであったというべきである。

二  争点2(労災休業差額金の金額)について

1  乙第八号証、第一一号証、証人黒田信良の証言、弁論の全趣旨によると、昭和五七年四月一日から平成元年三月末まで有効であった被告と組合との間の労災協約の七四条イには、「業務上の疾病、負傷」の標題の下に、「組合員が業務に関連して、又は業務遂行中に負傷し、又は疾病にかかった場合には、労働基準法および労災保険法に基づいて保険給付を受ける。但し、会社は、当該組合員が疾病又は負傷した時、過去三ヶ月(又は賃金締切期間)の手取の平均賃金(行政官庁により計算される)と労災保険からの給付額との差額を支給する。」との規定があること、平成元年四月以降の労働協約にも同様の規定があることが認められる。

2  ところで、被告は、被告の労災休業差額金の支給条件として、当該従業員の疾病が業務に起因すること及びその疾病により休業を要することを、使用者である被告が認めることが必要である旨主張し、証人黒田信良の証言の中には、これに沿う部分がある。

しかし、労働協約は、労働組合と使用者又はその団体との間で、書面に作成し、両当事者が署名し、又は記名押印することによってその効力を生ずる(労働組合法一四条)ものであって、一定の条件の下では、当該労働組合の組合員ではない労働者に対しても効力を及ぼす(同法一七条、一八条)ものであるから、その解釈にあたっては、第一次的には、書面で明確にされた文言を重視すべきであることは当然である。

そして、右認定のとおり、本件労働協約には、「組合員が業務に関連して、又は業務遂行中に負傷し、又は疾病にかかった場合」と記載されているのであるから、主観的には被告がこれを認めたときと解するのは相当ではなく、客観的にこれに該当するときと解するのが相当である。

3  そこで、進んで、本件労働協約中の「過去三ヶ月(又は賃金締切期間)の手取の平均賃金(行政官庁により計算される)」との要件について検討する。

(一) 甲第四〇号証、乙第一四号証、弁論の全趣旨によると、被告においては、かつて本件労働協約と同一文言の労働協約の解釈を争点の一つとする訴訟があったこと、右訴訟の第一審判決(甲第四〇号証)、控訴審判決(乙第一四号証)のいずれにおいても、「手取の平均賃金(行政官庁による計算される)」とは、従業員が昇給の時期にまたがって長期休業する場合には、その後の昇給相当額を追加給付するなどして加算すべきである旨判示されていること、被告においては、その後、組合との協議により、数次にわたって労働協約の改定が行われたが、本件労働協約部分については文言の変更がなかったこと、右判決後は、右判示に基づいて本件労働協約が適用されていることが認められる。

したがって、本件においても、昇給相当額をも考慮して労災休業差額金の額を定めるのが相当である。

(二) 次に、原告は、労災休業差額金として、賞与の差額分をも請求する。

しかし、本件労働協約には、右労災休業差額金の算定にあたって賞与を考慮すべき旨の規定はなく、かえって、労災保険法八条一項、労働基準法一二条四項によると、行政官庁が労災保険給付の基礎となる平均賃金を算出する際には賞与を含まずに算出することが明らかであるから、本件労働協約中の「(行政官庁により計算される)」とは、賞与を含まない額と解するのが相当である。

なお、業務上疾病による休業の場合に、休業と業務との間の因果関係が明確に認められるときには、従業員平均支給額を考慮した賞与が支払われる旨の労使慣行があることは、被告も認めるところである。

しかし、甲第一号証の一〇、乙第八号証、第一八号証の二、四、六、八、一〇、第一九、第二〇号証、第二二号証、証人黒田信良の証言、弁論の全趣旨によると、平成元年三月まで有効であった被告の労働協約(乙第八号証)においては、「業務上の傷病による欠勤及び出産休暇に対しては、賞与からの減額は行わない。」との規定があること(六三条ロ3)、その後の労働協約(乙第二〇号証)においては、出産休暇については欠勤としての取扱いから除外する旨の規定があるものの、「業務上災害による欠勤の取扱いは、その都度決定する。」との規定(七六条3、2))及び「各賞与算定期間中の合計欠勤日数が八五日以上に及ぶ場合、賞与は支給しない。ただし、会社は基本給、家族手当、住宅手当の一ヶ月分の範囲内で、金一封を支給する。」との規定(同条3、3))があること、右規定にしたがい、平成元年から四年まで、年二回の賞与が支払われるべき時期に、原告に対して各金二〇万六三六〇円が金一封として支払われたこと(ただし、原告の公租公課等の未納分に充当されたため、実際に支払われたわけではない。)が認められる。

そして、前記のとおり、労働協約の解釈にあたっては、第一次的には書面にされた文言を重視すべきであることに照らすと、被告の労働協約においては、業務上災害による欠勤の場合、平成元年三月までは、賞与を含まずに算定される労災休業差額金とは別に、当然に賞与の全額が支払われる旨定められていたのに対し、同年四月以降は、賞与を含まずに算定される労災休業差額金と別に賞与を支払うべきか否かは、被告の一定の裁量に委ねられることとなったというべきであり、右労使慣行も同様に解すべきである。そして、これにしたがって、被告が基本給、家族手当、住宅手当の一ヶ月分の範囲内で金一封を支給したものであると解される。

したがって、原告の請求のうち、労災休業差額金として賞与の差額分をも請求する部分は理由がない。

(三) さらに、本件労働協約には、「手取」であることが明記されているから、給与の支給総額から、税金及び社会保険料を法定控除した後の金額であることが明らかである。

4(一)  3で判示した意味における本件休業時の過去三か月の手取りの賃金が一日あたり金八四九四円であることは当事者間に争いがない。

また、乙第一九、第二〇号証、第二二号証、証人黒田信良の証言、弁論の全趣旨によると、被告においては、従業員が人事考課期間中の半分以上を業務上災害により欠勤したため人事考課することが困難な場合には、欠勤をする前の直近の人事考課結果を維持し、その評価を用いて昇給計算をしていること、これにより、適正な昇給が行われていたとすると原告の手取りの一日あたりの賃金は、平成元年四月一日以降は金八七二〇円、平成二年四月一日以降は金八九一〇円、平成三年四月一日以降は金九〇八七円、平成四年四月一日以降は金九二六四円であることが認められる。

そして、労災休業差額金の発生する期間は、本件休業の開始時である昭和六三年五月二六日から原告の症状が固定したとして労働基準監督署長が一二級の障害等級を認定した平成四年一〇月三一日までの一六二〇日間であること、この期間に対応する労災保険からの給付額が金一〇五一万七七一〇円であることは当事者間に争いがないから、被告が支払うべき労災休業差額金の金額は、別表により、金三八五万八七一八円となる。

(二)  なお、右のうち、訴状で請求されているのは昭和六三年五月二六日から平成三年九月三〇日までの分であり、この期間に対応する労災休業差額金の金額は、別表により、金二九六万二八六五円である。また、「請求趣旨変更の申立」と題する書面で請求された平成三年一〇月一日から平成四年一〇月三一日までの期間に対応する労災休業差額金の金額は、金八九万五八五三円である。

したがって、遅延損害金は、金二九六万二八六五円に対する訴状送達の日の翌日である平成四年四月二九日(当裁判所に顕著である。)から支払済みまでの分、及び、金八九万五八五三円に対する「請求趣旨変更の申立」と題する書面送達の日の翌日である平成八年五月一五日(当裁判所に顕著である。)から支払済みまでの分が認められる。

三  争点3(病状報告書提出義務)について

確認の訴えにおいては、その請求について確認判決をすることが、紛争解決のためのもっとも有効な手段であることが必要である。

ところで、被告は、昭和六三年五月二六日から平成四年一〇月三一日までの病状報告書の不提出を理由に、原告を懲戒処分する可能性を否定しないが、現実に懲戒処分をしたわけではなく、これによっても、原告の法的地位や権利義務に直接影響が及んでいるわけではない。

そして、病状報告書提出義務の存否の確認は、まだ現実化していない懲戒処分の正当性を判断するための前提事実の一つにすぎないから、これにつき判断することが紛争解決のためのもっとも有効適切な手段であるとまでは認めることができない。

したがって、本件訴えのうち、右症状報告書提出義務の不存在確認を求める部分は、確認の利益がない。

四  争点4(立替金支払義務)について

争点4に対する被告の主張に摘示したとおり、被告は、平成八年一月末現在、同四年六月以降の健康保険料・厚生年金保険料、同年七月以降の共済会費が未払となっており、未払総額は、金一二三万二五二〇円である旨主張しているが、原告が訴訟物として提示している原告の負担していた昭和五五年一〇月から平成三年九月までの公租公課等の立替金支払債務については、既に消滅していることを理由に、原告に対して、その支払を求めていない。

したがって、本件訴えのうち、本件立替金支払義務の不存在確認を求める部分は、確認の利益がない。

第四  結論

よって、原告の請求は、主文第一項記載の限度で理由があるからこの範囲で認容し、本件訴えのうち主文第二項記載の病状報告書提出義務及び本件立替金支払義務の各不存在確認を求める部分はいずれも確認の利益がないから却下し、その余の原告の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき、同法一九六条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官横田勝年 裁判官永吉孝夫 裁判官中島真一郎は、転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官横田勝年)

別紙<省略>

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